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まきべ〜のおでかけ日記
いすみライフマーケット
NPO法人 いすみライフスタイル研究所

癒し・パワスポめぐり

第9回
期間限定!いすみの超パワースポット、大原はだか祭り【前編】
大原はだか祭りの歴史〜時代とともにあるマチ〜

文章・写真:岡田美保
取材協力:いすみ夢鯨の会、大原八幡神社、栗林正明、市原なな代、渡辺敬介
参考文献:大原町史
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これまで、「癒し系」の静かなスポットをご紹介してきましたが、今回はとても賑やかで激しいスポットをご紹介します。しかも期間限定で出現するプレミアム・スポットです。

いすみと言えば、秋祭りが盛んなのですが、その中でも最も規模が大きく、盛大に行われるお祭り「大原はだか祭り」。大原の人たちは、このお祭りのために1年を過ごす、と言われるくらい、「熱い」お祭りです。この祭りの熱気に触れると、間違いなくパワーをもらうことができるでしょう。

「大原はだか祭り」、今回から2回に分けてご紹介します。前編となる今回は、祭りの成り立ちについて。次回、後編は、NPO女性スタッフが実際に神輿を担いでくれましたので、その体験レポートです。
お楽しみに。

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祭りのはじまり

起源について裏づける資料はなく定かではありませんが、大原町貝須賀にある鹿嶋神社の神輿が修理された際に発見された屋根板に「貞享4年(1687年)」と記した大工の書き付けがあったことから、今から300年以上前にすでに神輿があったことが確認でき、祭礼も なんらかの形で行われていたものと推測できます。

國吉神社鳥居
※大井瀧内神社奉納絵馬

国吉神社の御神木
※大原地区十社の神輿が揃って渡御している絵馬

大井地区の瀧内神社に奉納されている二面の絵馬からも1840年代当時、祭りが年1回の最大の楽しみとして賑わっていた様子が伺えます。

「何を質に入れても祭りの仕度を調えた」と言われるほど、どの家でも御馳走や酒を準備し、通りすがりの人にまでも振る舞ったそうです。

祭りの日程

秋季例祭として、旧暦の八月十三日〜十五日に行われていましたが、改暦により、明治6年より9月23日、24日、25日の3日間となり、大正2年からは9月23日、24日の2日間と定められました。

現在では秋分の日に合わせて2日間、2013年は9月22日(日)、23日(祝)に開催されました。
仕事などで地元を離れている人達もこの日ばかりは「マチ」のために故郷へ帰ってきます。


祭りの衣装

2013はだか祭りポスター大正時代には「白丁に烏帽子姿でしづしづと波打ちぎわを汐ふみしていた」との記録があるように、神社の例祭として儀式に近かったようです。
神社で白丁を管理し、一家に一枚、つまり氏子である家の氏素性のはっきりとした者にだけ担がせ、担ぎ手の数も決まっていました。

大正末期より派手な手差しに腹巻き、白の股引へと変わります。

「役員は揃いの浴衣を着て尻はしょりをし、畳表に白い緒の草履をはき、祭りの行列を囲んだ。のど自慢のうたう祭り唄に合わせて前をいく百人程の踊り子たちのかけ声と手拍子が響き、役員のかざす日の丸が拍子に合わせてひるがえり、粛々と町を練り歩く姿は一幅の名画であった」と大原町史の記録にあります。

1940〜1945年の終戦まで、記録上は「物資食料不足のため祭りは中止」となっていますが、年に一度の娯楽であり、憂さ晴らしの場、士気を高めるために実際は祭りが行われていたそうです。戦後は衣装も黒の手差し、腹巻き、脚絆という今と変わらない祭りの格好になりました。

1973年千葉国体が開催された時に、開会式のアトラクションとして、大原の神輿が16社1200名で参加、全国に知られるようになります。
それを機に、「村祭り」から「大原はだか祭り」と呼ばれるようになりました。

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祭りの流れ

+前日(※取材協力:東海地区熊野神社、瀧口神社)

お祓い(1年のうちに身内に不幸があった人はお祓いをし、お札をもらい、神輿を担ぎます。)

御霊入れ(神社にいらっしゃる神様を神輿へ移す儀式)

神輿の組み立て、飾り付けなどの準備

宵祭り(地元民は「ヨイマチ」と言います。明日の祭りに向けて、氏子が集まり飲みかわします。)

飾り付け中
※神輿の飾り付け

+1日目(※大原地区八幡様同行取材)

朝)各地区の神社に集合

村回り

貝須賀鹿嶋神社(大原地区親神様)へ集合お昼休憩

御遷宮式のある神社へ祝賀へ(神輿の直しや神社の改築があった場合のみ。)

14:00 )「五穀豊穣・大漁祈願祭大原漁港にて」(18社全ての神輿が集合)

15:00 )「汐ふみ」日在浜(現大原海水浴場)にて
汐ふみ
(昔は廣田神社と小浜八幡神社のみが汐ふみしていましたが、現在は約10社の神輿が海に入ります。荒波に揉まれながら渡御する勇壮さはこの祭りのハイライト。)

16:00)木戸泉酒造より大原商店街渡御、「大別れ式」大原小学校にて
大別れ式
(大別れ式に向かって子供達のお囃子が鳴り響く中、各方面から神輿が集まり行列になって進んでいきます。18社の神輿が結集、威勢の良い掛け声とともに競争のごとく駆け回る光景は勇壮で華やか、まるで絵巻の中にいるような絢爛さです。日暮れ時の提灯の灯りと共に夜空には花火が打ち上がる。神輿を高々と上げ2社3社と寄り添い合い、辺りには哀愁おびた別れを惜しむ男達の唄声と提灯の灯りで神聖な雰囲気に染まります。)
大別れ
宮入り(つきあいのある神社へ立ち寄りながら、自分たちの神社へ神輿を戻します。)

+2日目
村回り後、大原八幡神社に参集↓
大原商店街渡御、「大別れ式」大原小学校にて

大原八幡神社にて接待

宮入り
(自分たちの神社へ戻り、神輿を納めるのは日が昇るころになることもあります。昔は翌日も神輿を担ごうという目論見から遠くの神社へ神輿を預けてしまうこともあったそうです。宮入りを惜しむ心や時間をかけると大漁につながると信じられ、なかなか進まない。鳥居をくぐればもう神輿を出す事ができないからだそうです。木遣り唄を唄う哀調のこもる中、静かに神輿を納めます。)

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各神社(愛称) 鉢巻き 兵児帯 通称

大原地区>10社
瀧内神社 (大井)桃、エンジ
鹿嶋神社(貝須賀)  親神様  黄、黄 かしまさま
御嶽神社(上寄瀬)桃、桃
八坂神社(北寄瀬)豆絞り、黒豆絞り
賀茂神社(渋田) 桃、桃 かもんさま かもっつぁま  
熊野神社(小佐部)濃橙、黒模様入り
小浜八幡神社(城山 根方 坂東)赤、紫
廣田神社(田町 新場) 豆絞り、黄 ひろっつぁま 
大原八幡神社(北町 南町 仲町 新田)赤、赤 はちまんさま 
日月神社(造式 大舟谷 矢指戸) 赤、エンジ

東海地区>6社
玉前神社 (北日在) 黄、黒豆絞り
熊野神社(若山)紺縦縞、紺縦縞
大山神社(南日在)赤橙斜、黒豆絞り
瀧口神社(深堀)親神様  豆絞り、斜深緑
日月神社(新田)赤白斜縞、紺斜縞
天御中主神社 あめのみなかぬし(釈迦谷 しゃかやつ)豆絞り、エンジ

浪花地区>2社
八幡神社 (岩船)赤、紫
諏訪神社 (小沢)橙、橙

計18社(順不同)

 

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